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苦悩しているエゴに愛と感謝を

プレゼンスにある時間が少しずつ長く深くなり、自分自身のエゴを穏やかに見つめることができるようになるにつれて私は、私のエゴが「生命の神秘」や「大いなる存在」に対してヒリヒリするような憧れと劣等感を感じていることを知るようになりました。

プレゼンスの深みに在るとき、私は自分が夜空にまたたく星々と同等のものであることをはっきりと感じます。私は美しくひらく花々と同等のもの、海や川や雲になることを経て再び地上に落ちてくる一粒の雨と同等のもの、空を引き裂く雷と同等のもの、そしてまた、夏の終りに道端で仰向けに転がり死を迎え入れようとしているセミと同等のもの。

私は世界の美しさによって満たされますが、私自身がいのちの美しさの一部となって世界を満たしていることもまた、知っています。「生命の神秘」はまさに私自身。私はいまこの瞬間の変化そのもの。自分自身に憧れたり劣等感を持ったりすることがないのと同じように、「いま、ここ」に在るときの私は、世界の美しさや生命の神秘に憧れることも劣等感を感じることもありません。

ところが、私のエゴは、そうではありません。私のエゴは、バニラ色の空に輝く三日月や深く光る海に憧れ、「大自然」をテーマにしたテレビを観て賞賛します。そしてため息をつき劣等感を覚えながら思います。「世界はほんとうに素晴らしい。それに比べて自分はなんてちっぽけで醜いんだろう」。私のエゴはいつも、自分がどこか間違っていて無価値だと感じているのです。

プレゼンスの深みからマインドが働き始める場所に戻ったとき、私はエゴのこの苦しみを感じます。彼女が、「自分の存在は間違いで、劣っている。だから世界にも『ほんものの私自身』にも要らない存在なんだ」と感じ苦しんでいることを知るたび、私は憐みでいっぱいになります。レナードさんの教えのツーステップを繰り返しながら彼女のことを観察し名前を付けたりしているうちに、苦笑したり困惑させられたりしながらも、私は自分のエゴに愛情を感じるようになっていたからです。いまや彼女は、私の子どものようでもあり、年下の友人のようでもあります。

私は、彼女をその劣等感の苦しみから解放することはできないだろうかと考えるようになりました。でも一方で、「もしかしたら、これも私をマインドの世界に引き留めるためのエゴのトリックなのではないだろうか?私がすべきことはエゴの苦しみに関わってマインドの世界に迷うことではなく、ただプレゼンスを深めることなのではないのだろうか?」という思いも、繰り返し浮かんできました。
「エゴの苦しみをなんとかしたい」という思いと、「エゴのトリックにはまっているのかもしれない」という思いのはざまで混乱した私は、この混乱と疑問をしっかり抱えたまま、プレゼンスを深めてみることにしました。

夜の洗濯機置き場。夫と娘はすでに寝室ですやすやと眠っていて、穏やかな電球の光の下、私は一人きりで立っている。私はひとつ深呼吸をし、エゴの苦しみについての自分の混乱を、もう一度思い浮かべてみる。いまや私とは分離し、そしてだからこそ大切な存在になった私のエゴ、彼女の苦しみ、私の彼女への疑念。それから私は目の前の洗濯機を見つめ、自分を「いま、ここ」の世界に連れてくる。洗濯機と共にただ「いま、ここ」に存在した瞬間、視界がはっきりして、頭にあった微かな熱源が下腹に移動し、世界が静まりかえる。

私はしばらくのあいだ(どれくらいの時間だろう?)、プレゼンスの中でくつろぐ。世界は揺らぎ絶え間なく変化しながらも完璧なバランスを保ち続ける。呼吸によって空気が私の体に入り、必要を満たして別のものに変化し、また出てゆく。生まれ、消滅し、そのどれもが必須で、足りないものや余分なできごとはなにひとつない。私はこの美しく完璧な世界の一部で、私もまた、生まれて、消え、巡っていく。世界はひとつだ。だれが、こんなふうに世界を完璧にしているのだろう?それは私の理解を超えているけれど、私が考えなくてはならないことは、なにひとつない。私はその「偉大な何か」の手に、すべてを委ねる。極上の安らぎと喜び。

ふと、私の体の中で「エゴを置き去りにするべきではない」という声が響く。「愛と恐れがあるならば、愛を選びなさい」。

私はハッとする。そうだ、私はエゴを、苦しみの中に置き去りにするべきじゃない。そんなことはしたくないし、できるわけもない。エゴは私の、この世界の一部だ。私がこの世界で生きていくことを助けてくれる、大切な私の一部なのだ。エゴは決して無価値なんかじゃない、でも、だからこそ、エゴは大いなる存在そのものになりたがるべきではないのだ。エゴはエゴそのものだからこそ価値があるのだから。私はそのことを、どうにかして私のエゴに伝えなくてはならない。「エゴの苦しみに関わるとマインドの世界に迷う」?それは私の恐れだ。でも大丈夫、「今この瞬間」に存在することを忘れ去らない限り、なにがあっても私のプレゼンスが失われることはないだろう。

私はその場でエゴに呼びかけてみる。
「私のエゴ。あなたは大いなる存在そのものにはなれません。でも、あなたはその大切な一部です。あなたはプレゼンスを体験することはできないけれど、私に起きるすべてのできごとの記憶を知ることができます。私がプレゼンスに根ざすなら、私の記憶は恐れではなく喜びに溢れたものになるでしょう。その喜びの記憶をもとに、くつろぎ楽しみながら未来の計画を立ててくれませんか。私の協力者になってくれませんか。あなたは価値のある存在。あなたがいなければ私は、どうやって娘の面倒を見られるでしょう?どうやって家族の食事を作り、看病をし、職場や幼稚園に送り出すことができるでしょう?苦しむのはやめて、私にあなたを委ねてくれませんか。」

返答はない。でも私は、彼女が静かにうなずいてくれたことを感じ取る。私はほっとし、世界は再び静まり返る。

私のエゴは、まだ私に完全に委ねてくれたわけではありません。でも、プレゼンスの場所からエゴに向けてメッセージを伝えられたことで、彼女の苦しみが和らいだこと、私と彼女の関係がまたひとつ変化したことを感じます。

いまは、レナードさんが本の中で勧めていたとおり、その日エゴがしてくれたことに対して、夜眠る前に彼女に感謝を伝えるようにしています。彼女にくつろぎと喜びの記憶がもたらされますようにと願いながら。

心からの感謝をこめて。(30代 女性)

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