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推薦コメント 「司法書士 藤田嗣人氏」

レナードは、私たち自身の真の姿を映し出してくれる鏡です。

私たち一人一人は、宇宙から見れば、何一つ欠けておらず、劣ってもおらず、間違ってもいない完璧な存在です。にも関わらず、このことは私たちの「生活の実感」からすれば、中々受け容れ難い真実です。では、どこでそうなってしまったのでしょうか、そしてそれを溶解させるためにはどうしたら良いのでしょうか?レナードはその公然たる秘密を明らかにしてくれます。

私たちは、授乳期を終えるとやがて自我を形成します。絶対的安心を約束してくれていた母からの分離が始まるのです。そこに、自我=エゴが生まれてきます。それは、分離を余儀なくされた自己を守るためのものでした。その分離した自我は次第に、成年期・老年期に至るまで、無数の孤独や怖れの記憶を蓄積していきます。それは、年齢が低いほどその記憶の影響力も大きいものです。

それらは自己の意識の底に、深海のように無数の層になって積み重なっていきますが、この堆積した無意識の記憶が、私たちの痛みや悲しみのあらゆる自己否定の原因となっているのです。これまで私たちは、この基層に横たわる無意識のエネルギーに翻弄されてきました。

私が初めて、レナードの日本で最初のリトリートに参加した時、目の前で展開する一種の外科手術のような心理的解剖を目撃して大変驚きました。
なんと彼はブラックジャックのように、参加した聴衆の眼前で、被験者(登壇した参加者)の無意識の記憶の層に、無慈悲にも思える見えないメスで切り込んでいくではありませんか!

それはそれは、とてもリアルで具体的なものです。そして、被験者の基層部分からの痛みに触れ、その叫び声に、参加者一同恐怖するのです。何故ならば、その恐怖は、参加者全員が共通して、記憶の底に隠している痛みに他ならないからです。

レナードは、その無意識の負のエネルギーの解放のテクニックとして、二つのステップを提唱しています。その概略については紹介を省かせていただきますが、私はレナードのリトリートに参加して、いつも大きな勇気をもらっています。

私は、小さい時にポリオに罹患し、以後身障者としての人生を歩んできました。「身障者」という言葉の背景に様々な観念が潜んでいますが、それらに囚われた私の意識は、これまで私自身をがんじがらめにしていたものです。

レナードの言葉、いやそれ以上に雄弁な彼の沈黙=実在に触れて、私自身が彼に投影される瞬間がありました。そこには、完璧な私がいました。それを一言で表せば「自由」ということになるでしょうか。そこには過去のどんな記憶の影響も受けることのない「全き自由」があるのです。それは、彼自身が私たちの真実を映しだす鏡となってくれたからです。

しかしかながら、レナードのリトリートは、私がここに描いた駄文のように抽象的ではありません。あくまでも、私たちが体験する具体的な生活と共にあります。

私は、司法書士という仕事の延長線で、家族の紛争の調整や犯罪者の更正に関わるボランティア的な仕事に携わっていますが、その一つ一つの場面で、レナードの教えを思い出すことがあります。この方々が、レナードの二つのステップを実践できたらと思わずにはいられません。自己の幸福は、自らの手で手繰り寄せるしかないのです。いいえ、すでに手にしていることに気づかないだけなのです。

<プロフィール>
昭和28年、北海道富良野市生まれ。7歳の時全国で大流行したポリオに罹患、両下肢マヒ及び脊柱側弯症の後遺症を発症。北海道大学在学中に脊柱側弯症の治療を開始後、寝たきりを含め10年ほど闘病生活を経験。その間、司法書士の資格を取得、闘病しながらの司法書士事務所を営んだ。治療が、ほぼ安定期に入った頃から、全国の神社・仏閣を巡る旅を始めた。その中でも、2本の杖をついての富士山登頂は、自身の固定観念を破る大きな契機となった。現在は、保護司・裁判所の調停委員として地域の活動を楽しんでいる。

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