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生きることの真実を教えてくださったレナードさんに感謝を

私には、ずっと心に残っている、忘れられない一冊の本があります。題名は忘れてしまいましたが、大きな写真と短くわかりやすい文章から構成された子ども向けのその本は、死んだ野生のキツネが、森の中で少しずつ少しずつ朽ちていくさまを記録したものでした。

見開きの、左側のページいっぱいに映されたキツネの死体と、右側のページに書かれた平易な解説文。同じアングルから撮られたそのキツネは、秋から冬へと移り変わる静かな風景の中、様々な生き物に食べられ、風化し、朽ちていく。私は、その静謐さと神々しさに、釘付けになりました。「キツネの死体を記録する」という命題から連想されるおどろおどろしさとはまるでかけ離れた美が、そこにはありました。役割を終えた体が、他の生きものたちの食べ物となって少しずつ少しずつ消えていくそのさまは、生命の深い深い優しさとこの上ない喜びに、溢れていました。「死がこんなにも優しいのなら、生きることはぜんぜん怖くないのだ」と、私の身体が深く納得しました。それは、私が初めて「死は怖いものではないんだ」と知った瞬間でもありました。私もこんなふうに死にたい、と思ったことを、覚えています。

レナードさんの教えに出会い、初めてプレゼンスで食事をした日、不思議な至福のなかで、私はこのキツネの死を体感しました。プレゼンスの中で「食べる私」と「食べられる食事」の境がなくなったとき、生と死の境界も溶けていくような強烈な感覚に包まれました。食べることと食べられることの神秘、すべては繋がっているのだということの紛れもない事実、その極上の安らぎを、時間のないプレゼンスの静寂の中で感じた時、「食べること」と「愛」とは本質的に同じなのだということを、知りました。そして、私の身体が「食べる」ことによって生かされるなら、私はまさに愛によって生かされているのだと、貫かれるように思い知りました。

その体験以来、私は日常の様々な場面で、私自身が生命の神秘そのものであることを感じるようになりました。たとえば、紛れもなく私のものなのに私自身には制御不能な、この心臓の鼓動。日常の中でふと静まり返って自分の鼓動に耳を澄ませるたびに、驚嘆と感謝を感じずにはいられません。私の心臓はただこの瞬間にだけ鼓動でき、人生もまたただこの瞬間にしかないことを、静寂の中で感じます。そしてそのたびに、この瞬間も、そしてまた次の瞬間にも、自分の心臓が鼓動することを、ほとんどの人が信頼しきって生きているこの世界は、どう考えても愛でできている、と思います。

レナードさんは、生きることの真実を、プレゼンスの驚嘆と美しさと喜びの世界を、私に教え続けてくれます。言葉に尽くせない喜びの中で、私の人生は、私の内奥から変わりました。プレゼンスに在ることで、私は深い安らぎのうちに愛を感じるだけではなく、深い安らぎのうちに悲しむことができるようになりました。深い安らぎのうちに痛みを、怒りを感じることができるようになりました。プレゼンスに在るならば、悲しみや痛みや怒りでさえ、恐れるべきものではなく歓迎すべき友人になるのだということを体感したことは、私の生きることへの意識を、根本から変えました。

プレゼンスの世界を教えてくださったレナードさんに、限りない感謝をこめて。(30代 女性)

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