死の恐怖と向き合う

膣周辺にしこりができたことをきっかけに、いろいろ感じることのできた日々を送っていました。

当初はまず、「悪いものだったら、どうなるんだろう?」と怖くなり、その後レナードさんの著書『今この瞬間への旅』で分かち合われている、「エレンと死の天使」のエピソードや、死の恐怖と向き合うことが書かれた部分を読み返しながら、自分自身から湧き上がる恐れの感情と向き合ううち、自分が自身の死をまったく受け容れていないことに気づきました。

「それではわたしは、いつまでこんなふうに死を受け容れないまま生きるんだろう。いま受け容れられないものを、20年後に受け容れられるんだろうか? いつか必ず訪れる死のときに、受け容れられるんだろうか? 死ぬのを拒否しているということは、ほんとうに生きることも拒否しているのでは? いま湧き上がるこの恐れは、いま死を受け容れるためのチャンスなんだ」と深く気づかされ、ただ恐れをじっと感じるうちに、いままでとはまた違ったプレゼンスが訪れました。

プレゼンスの現実においては生きることも死ぬことも同じこと、わたしがあるのはただこの一瞬、ただ「いま」だけ、という感覚の中、神さまがすぐそばにいることを、いままでもこれからも離れないんだということを強烈に実感し、圧倒的な安心感の中で、身体にできた小さなしこりがいいものでも悪いものでも別に構わないと感じました。

そのすぐあとで、悪いものではないという検査結果がやってきましたが、「どちらでも構わない」という安らかさのほうが、結果を喜ぶ気持ちよりもずっと大きかったです。

「神の平安」は、ほんとうに、なんと形容していいか…言葉を失う素晴らしさで、無宗教の自分が、これほど神さまというものを実感して生きるときがくるとは思いもしませんでした。

でも、神の存在を実感できるのはプレゼンスにあるときだけで、そのプレゼンスの種を育む責任はわたし自身にあるのだということを改めて思いだし、なによりもいまこの瞬間にいることを選択し続けるんだという決意がより一層強くなりました。

ほんとうに、わたしがレナードさんの教えから受け取り続けている恩恵は、計り知れません。
レナードさんの教えは、日常生活の中でなにかにぶつかるたびに繰り返し戻ってはそのたびに新しい気づきを得る、わたしの拠って立つ土台です。
わたし自身のなかにある答えや知識の源に導いてくださる羅針盤です。
レナードさんの教えの真実さと深さに、いつも感動します。

プレゼンスに在るならば、痛みは怖くなくなり、結果への執着は消えていき、起きては困る出来事など本来なにもないのだという安心感とともに生きられることを知りました。
どこを見ても目に映る神性、その中にある計り知れない知性を感じながら生きることは、なんて素晴らしいのでしょう。(40代 女性)