抑圧した感情と向き合う

目覚めの初期ステージでの、至福に満ちたワンネスの体験が一定期間続いたあと、痛みと苦しみがやってきました。羞恥、後悔、罪悪感。怒り、悲しみ、寂しさ。
私は押しつぶされそうになりながらも、「感情はあなたの一部ではない。感情があなたの一部になろうとしたことも、これまで一度もない。感情はあなたから生じて、あなたを素早く通り抜けるようになっているエネルギーなのだ。感情を表現しメッセージに応答すれば、感情はあなたを通り抜けていく」というレナードさんの言葉を支えに、ただ感情を感じ続け、ひとつひとつの感情はその都度溶け去っていきました。

でも、何にも増して耐えがたかったのは、「私はニセモノだ」という感覚でした。この感覚はとても強く、私をかきまわし落ち込ませました。そしてこの感覚だけは、いくら「今この瞬間」に留まって感じ続けても、繰り返し繰り返しやってきました。
一方で、私の内面の奥底では、「私はけっして偽物ではない」という真実を知ってもいました。その「真実」が、「自分はニセモノである」という信念を信じ込むことを、かろうじて防いでくれました。そして、その信念を信じ込まずに「ただ私はいまこの感覚に襲われているのだ」と少し距離を置いて観つめることができるようになると、その信念がどこからやってくるのかを、少しずつ探ってみることができるようになりました。そして私は、その信念の源が「自分自身への不正直さ」だということを突き止めました。

ネガティブな感情が沸き起こってきたときに、そんな感情はないかのように振るまう方法を、私はいつのまにか身に着けていたのでした。他者にそう見えるだけではなく、私自身までも「そんな感情はないのだ」と信じ込むほどに。自分自身の嫌な側面が現れそうになるたびに、それを押し隠していたのでした。「そんな側面はないのだ」と私自身が信じ込むほどに。
「いつも笑顔でいなくては」という思いが、いつのまにか「私には笑顔でいられないような感情はない」という信念に変わっていました。「怒ってはいけない」という思いが、いつのまにか「怒るような気持ちは、私には湧いてこない」という信念に変わっていました。
私は、私自身に対して嘘をつき続けていたのです。それも、まったく無自覚に。

この「自分自身への不正直さ」の代償が、自分自身を偽物だと感じる引き裂かれるような感覚でした。このことを理解したとき、私は、自分自身に宣言しました。周りの目にどう映ろうと、私は私自身に正直でいることを。

自分自身の抑え込んできた感情と向き合うことは、たくさんのエネルギーを必要とします。おそらく私が無自覚であった分だけ、余計に。それでも、私はこれからも浮かび上がるすべての感情と向き合いたい。なぜなら、私は切望しているからです。真実を生きたいと。

レナードさんの教えに出会って以来、私はまるで一粒の種になったかのようです。私の全身全霊がむずがります。土から出て真実の陽の光を浴びたいと。本物の風に吹かれたいと。

レナードさんの言葉は、むずがりもだえる私を導く陽の光でありやさしい雨です。
この旅の苦しみのときに変わらず寄り添い導いてくださることに、心からの感謝を込めて。 
                                   (30代 女性)