怒りと痛み

痛みを感じるときはいつも、あなたが「望むことを得ていない」か、あなたが「望まないことを得たか」ということです。怒りも同様です。痛みか怒りを感じているならば、次のように自分自身に問いかけてみましょう。あなたが望んでいる何を得ていないか。あなたが望んでいない何を得たか。あなたが望んでいることを明確で愛に満ちた方法で表現したか。それどころか、自分が何を望んでいるのかを、あなたは知っているのだろうか。痛みを感じることをあなた自身に許しただろうか、それとも、痛みを避ける手段として、あなたはただ自動的に怒っただろうか。

自動的に起こる痛みから怒りへの移行は、わたしたちが幼少期に身に付けた反応です。そして、その反応がわたしたちの人生のほとんどの間、そのままの状態でわたしたちに留まってい るのです。あなた自身をそこから解放させたければ、誰にもぶつけることなく、責任を持って怒りを表現する方法を身に付けなくてはならないでしょう。そして、ただ痛みだけを感じましょう。あなたが痛みを感じると、痛みはすぐに過ぎ去っていきます。自分自身に痛みを感じることを認めると、怒る必要はなくなるのです。


怒りと鬱の関係

わたしたちの多くが怒りを抑圧することを身に付けてきました。わたしたちは怒りを内面に 保持して、内側に向けるのです。これが大抵の場合、鬱を誘発します。もし落ち込んでいるならば、「何か怒っていることがあるだろうか」と、自分自身に問いかけてみましょう。そして、その答えがイエスならば、「誰に対して怒っているのだろうか」「何に対して怒っているのだろうか」と問いかけてみましょう。

鬱から抜け出したければ、あなた はその怒りを感じ、意識的で責任を伴ったやり方で、怒りを表現する方法を身に付けなくてはなりません。

痛みと怒りを切り離す

多くの人は怒りを不適切に表現するか、抑圧しています。あなたは傷付いたとき、その傷付いた感情を避けるために怒るのです。傷付くとあなたは自分が被害者で力がないように感じるので、怒ることであなたは自分自身に力を与えようとします。そして、あなたはその痛みを避けようとするのです。もしくは、怒ることは危険だと幼少期に学んだので、あなたは怒りを抑圧します。こうして、怒りと痛みの感情は溶け合って、癒しを不可能にさせているのです。

そして、怒りを表現すると痛みが湧き起こります。痛みを表現すると怒りが湧き起こります。 怒りも傷みも、そのどちらも完結へと導く方法で表現されていません。

怒っているならば、深いレベルで傷付いているということです。多くの人たちにとって、痛みは抑圧されているので、痛みが意識に浮上する前に、責任を持って怒りを表現する技術を学 ばなくてはなりません。

まず、怒りを充分に感じて、責任を持って表現しましょう。怒りが完了したら痛みを感じま しょう。怒りと痛みは切り離されなくてはならないのです。怒りが適切に表現されると、痛み は自然に浮上してきます。そして、あなたが痛みを感じると、痛みはすぐに過ぎ去っていきま す。なぜなら、怒りを意識に表面化させて誰にもぶつけずに解放させたことによって、あなた は自身に力を与えたからです。あなたはもう自分が無力だと感じはしないでしょう。

ほとんどの場合、怒りは痛みに対する反応です。多くの人は怒りを抑圧しています。怒りを抑圧すると、怒りは内面に向かって、あなたの力を奪うのです。怒りを誰にもぶつけることなく、責任をもって、完全に表現することを身に付けましょう。怒りを解放させてから痛みを感じると、あなたは内からの真の力に 漲っているので、痛みはすぐに消えていきます。そして、怒る必要はなくなるのです。


この記事はレナードの日本語の著書『JOURNEY INTO NOW「今この瞬間への旅」』、『EMBRACING THE PRESENT この瞬間を抱きしめる』より一部抜粋したものです。

ワークショップやリトリートでは、感情を解放するワークも取り入れます。
一人の人の感情の解放が全体の感情の解放をも引き起こします。