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何も必要としないことの自由

去年の春、初めてレナードさんの本を読み、それまで思いもしなかったような真実を知り、驚きと喜びで、私は呆然となりました。「プレゼンスに在る」というのはどういう感じなのかを知りたくて知りたくていてもたってもいられなくなり、私は本から目を離し、そのとき座っていた電車の青いシートと共に「今ここに存在してみよう」と決めました。

青いシートをじっと見つめ、左手でそっと撫でると、それは瞬時に起こりました。パソコンをシャットダウンしたときのように頭の中のざわめきが消え、私は深い静けさに包まれました。シートの青さが光を帯びたように鮮やかになり、感じたことのないほどの喜びが私を満たしました。

しばらくその青いシートとともにプレゼンスを分かち合ったあと、私は喜びでぼんやりしたまま、水の中にいる時のようにゆっくりと、車内を見回しました。
 ― なにもかも、私とともにここに在る。
私は泣きたいような安らぎを感じ、自分の細胞のひとつひとつがいっせいに深い安堵のため息をついた音が聞こえたような、気がしました。

この日、プレゼンスに在る自分を知ってから私に起きた一番大きな変化は、今ここに在るもの以外、なにも必要としなくなったことでした。

「必要としない」、それは驚くべき自由でした。今ここに私が喜びに満たされるためのすべてがあり、「これがなくては幸せになれない」というものはなにひとつない。ものも、場所も、誰かからの愛情でさえ、必要ない。なぜなら、今ここに、すべてが在るから。
プレゼンスを知り、私は何かや誰かのものであることをやめ、私自身のものになりました。

必要としないことは、なにも欲しがらなくなることとは違いました。私は変わらずなにかが欲しくなるし、誰かと一緒に過ごしたくなります。でも、そのどれもがどうしてもなくてはならないものではないので、「手に入らなかったらどうしよう」という不安も、実際に手に入らなかったときのあの落胆や怒りや悲しみも、沸き起こらなくなりました。不安がないので、穏やかにはっきりと欲しいものを表現できるようにもなりました。その結果、欲しいものを得る機会が増えました。(必要としなくなることが欲しいものを得やすくするのだとは、驚きでした。)

プレゼンスを知り、私が私自身のものになってからは、家族や友人から受ける愛情は、人生の必需品ではなく贈り物になりました。必要がすべて満たされた自分自身として受け取る愛情は、飢えを満たすものではなく、純粋な喜びとなって私に届くようになりました。葉っぱの先に輝く朝つゆのような、雨上がりに光る虹のような、奇跡に満ちた贈り物。ただその瞬間にだけ属し、所有することも貯蓄することもできない、ほんものの贈り物。そんな贈り物を受け取るたびに、私は感謝でいっぱいになります。

それと同時に、私の望みは「私自身を誰かに必要とされたい」というものから「誰にも必要とされないようになりたい」というものへと、変化しました。プレゼンスを知る以前は、私はいつも誰かに必要とされたがっていましたし、それが普通なのだとも思っていました。
でもいまは、もしも私といて楽しくなくなったなら、心おきなく私から離れてほしいと思うようになりました。「必要だから」ではなく、ただ私といると嬉しくて楽しいからという理由で、一緒にいてほしい。すでにすべての必要が満たされたもの同士として、この瞬間を共に生きたい。

いま、生きるために私を必要とする唯一の存在は、私の5歳の娘だけです。私が彼女にできることは、なるべく早く、彼女が私を必要としなくていいようにすることだと、思っています。彼女が私の存在を必要とする限り、私は彼女に対して責任と権力を持つでしょう。私が責任と権力を持てば、彼女のほんとうの力を奪い、自由を奪うでしょう。彼女自身のほんとうの力と自由を知らせることができたなら、「あなたの幸せに、ママは必要ないのよ」ということを誤解なく伝えることができたなら、母親としてこんなに素晴らしいことはありません。

プレゼンスに根付くためのツーステップは、日常生活の中で私に新しい発見と喜びをもたらし続けてくれます。
この素晴らしい贈り物を分かち合ってくださったレナードさんに、深い感謝をこめて。(30代 女性)

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