今ここに在る「ひとつの世界」

ここ1~2ヶ月、どういうわけか無性に裁縫がしたくなり、昼も夜も暇を見つけては型紙を切り抜いたり布を縫ったりしています。

一人でしんと裁縫をしていると、いつのまにかマインドが声高におしゃべりを始めます。
「今日もまた、テロのニュース。すごく怖い。世界はどうなっちゃうのかな。」
「そういえば、このまえあの人にあんなことを言っちゃって。ああ、私ばかみたい。」
「娘の小学校、どこにしようかなあ。」
マインドは、いつものようにとりとめもなく脈絡もなく次々と不安や疑問を話し続け、私はその話し声を延々と聞き続けました。

そしてある日ふと、「はさみを動かしたりミシンを踏んだりしながらマインドの話し声を聴いていると、マインドの主張するストーリーを信じ込まずにただ聴いて観察することができる」ということに気がつきました。

嫌だったことや悔しかったこと、自己嫌悪や批判などをマインドは延々と力説するけれど、その話し声を聴きながらも、私の意識はいま縫っている縫い目のひとつひとつに、いま切り取っている型紙のラインに集中し、自然と「いまここ」に在りながらマインドの声を聴く、という状態になります。
そのとき手にしている布やハサミと一緒に、マインドの「架空の(終わってしまった、あるいはまだ始まっていない)ストーリー」を聴いていると、そのストーリーが重みを失って、ただ軽やかに流れていきます。

そんなふうにマインドの声を聴き続けているうちに、突然ぷつんとエゴが沈黙する時間が訪れるようになりました。
そんなときの静寂は、それまで感じていた静けさよりもさらに深く、エゴが私のそばで目を閉じて穏やかに安らいでいるような感覚を得ます。
語りたいことを我慢してプレゼンスが終わるのをじりじりと待ち構えているエゴではなく、語りつくして安らかな状態でプレゼンスを受け入れるエゴといることは、わたしを喜びで満たします。

しんとした世界にカタカタと響くミシンの音。
わたしは手足を動かしながら、わたしのリズムで呼吸する。
いまここにある世界に、吐く息でわたしは呼びかける。
わたしはここにいるよ。わたしはここにいるよ。
呼びかけた瞬間にわたしの息は世界に受けとめられ、つぎの瞬間、世界からの呼びかけをわたしが吸う。
はいて、すって、はいて、すって。
見逃しようもなくシンプルに、世界は繋がっている。
「世界」と「わたし」があるのではなく、ただわたしがあるのだという気づきが、途方もない喜びとともに、音もなく訪れる。

そんな感覚のあと、エゴがまたもぞもぞと動きだし、おしゃべりを始めます。
「呼吸といえば…、娘の喘息、最近落ち着いてるな。幼稚園も休まず通えてるし、順調順調。あ、そうだ幼稚園に出す書類をまだ書いてなかった、今日やらなくちゃ。そういえば週末から蒸し暑くなるみたいだから、涼しく眠れるようにダブルガーゼのパジャマも今日中に縫っちゃいたいなあ。寝不足は元気の大敵!」
エゴのおしゃべりの脈絡と他愛のなさに思わず笑いながら、わたしは耳を傾けます。
深い静寂が去り、今度はエゴのおしゃべりで満ちている世界を、ミシンとともに共有します。
静寂は去っても、喜びの感覚はからだの芯に残ったままです。

今ここにある「ひとつの世界」を教えてくださったレナードさんに、心からの感謝をこめて。(30代 女性)