二元性の世界で真実を生きる〜カラスとの神聖な交流〜

冬の寒い朝、テレビをつけると世界の分裂を物語るようなニュースが次々と流れてきました。
それらのニュースは私の不安と恐怖を呼び覚まし、私はテレビを消すと、重く沈んだ気分のまま洗濯物を干すためベランダに出ました。

「ここに来たら、何をしていてもプレゼンスを思い出すことにしよう」と決めている場所を、私は自宅の中に何カ所かつくっています。ベランダもそのひとつで、いつもならベランダに出た途端すうっと気持ちが静まるのですが、その朝は不安の声が頭を占めて、プレゼンスに在ることを思い出すことすらできずにいました。

ぼんやりしたまま機械的に洗濯物を干していると、一羽のカラスが飛んできて目の前の電柱にとまりました。5階にある我が家のベランダからは、カラスと私はちょうど同じ目線の高さになりました。凛とした朝の空気の中、カラスはその羽を黒々と輝かせて静かに朝日を浴びながら、時おり私をじっと見つめました。

私は彼女(メスだという気がしました)の美しさに目を奪われ、その途端、自分がプレゼンスに在ることをすっかり忘れていたということを、思い出しました。私は夢から覚めたような気持ちで彼女を見つめ、そのまましばらく、彼女と一緒に存在しました。冷たい空気を、朝の光を、聞こえてくる車の音を、分かち合いました。
彼女と、この瞬間にあるなにもかもと、「私たちはたったひとつのものなんだ」という完璧な安らぎに、私はすっかり満たされました。不安は、跡形もなくなっていました。
この瞬間の現実に戻ってくることを思い出させてくれた彼女への感謝の気持ちとともに、私は彼女に、信じられないほど深い愛情を感じました。

彼女が優雅に飛び立っていくまで、ぜんぶで30秒ほどの出来事だったと思いますが、「輝かしい」と言いたいような、とても神聖な時間でした。

満ち足りた気分で洗濯物を干し終え(洗い立ての布の清潔な香り、ひんやりとした触りごこち!)、暖かな部屋に戻り、私はほっと息をつきました。朝の凛とした寒さも素敵でしたが、部屋の中の暖かさもまた、素敵でした。
このときふと、「レナードさんの言うとおりだ。寒さがなければ暖かさの素晴らしさは十分にはわからない。同じように、不安がなければ安らぎの素晴らしさは十分にはわからない。今朝のニュースによって呼び覚まされた不安があったからこそ、ベランダでのこの安らぎの体験は訪れたのかもしれない」と思いました。

二元性のこの世界で、いま不安が多くを占めているように見えます。大きく膨らんでいく不安や、深まっていくように見える分離は、プレゼンスで受け止めるなら、素晴らしい安らぎと一体への入り口になるのかもしれないと、最近強く思うようになりました。

世界に起こる不安や分離が物語るストーリーを信じ込み巻き込まれるのではなく、その出来事に照らされて呼び覚まされる自分自身の不安や分離感をただ感じ切り解き放つことができたなら、世界の不安を世界の安らぎにすることは可能なのかもしれないと思うようになりました。

私たちは繋がっている。
プレゼンスの中で、わたしはいつもそれが真実であることを体感します。
そしてそれが真実であるならば、自分自身の内に広がる不安を受け止め解き放つことは、世界の不安を受け止め解き放つことになるのだと、私自身の深みから声が聴こえます。

自分の内にある不安から目をそむけたまま、世界に映し出された不安を掻き消そうとすることは、幻と格闘することと同じなのかもしれない。世界の不安が、目を背けることができないほど大きくなってしまったのは、ほかの誰かの責任ではなく、自分の不安を受け容れなかった私自身の責任なのかもしれない。

プレゼンスに在ること、幻想ではなく真実の人生を生きること、いまこの瞬間を選び続けることを、もっともっと、していかなくては。私はいま、そう強く感じています。

世界の素晴らしさとレナードさんの教えに感謝をこめて。