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日々ツーステップを実践しての変化

神は、私の全く想像すらできない形で、私の人生に介入してくるというような表現の文章がレナードの本の中にあったけれど、まさに、そのような人生が展開し始めているのを痛感しています。

私は、2015年になって、初めて、突然、レナードの真の生徒になることを許されました。文字通り、それは、神から許可が出たようなものです。

私は、5年にわたり、ツーステップを実践してきました。最初の2年間は、レナードに会ったことはなかったが、本を読み、ツーステップの要約をノートにまとめ、すぐに作業を始めました。作業を始めると、自分でも想像できないような体験を次から次へとしました。

私は、最初から、なぜかツーステップの作業をすることに死にもの狂いでした。やり方が正しいのか正しくないのか、そういうことにも、全く頓着なく、自分のすべてのすべてが、ツーステップの作業に向かっていっているのが、よくわかっていました。朝な夕な、寝ても覚めても、そう、まるで、ツーステップの作業をすることと恋に落ちてしまったように感じました。それも、命をかけた今生最後の恋。

1年2年と月日が過ぎていくうちに、私の中から、“考える”という状態が次第となくなっていきました。それまで、50年以上もの長い間、考える続けることは、日々常態だったはずです。しかし、わずか数年の間に、私は、考え続けるということが、どういう状態だったのか、わからなくなってしまいました。考えることが必要な時に、意識的に考えるようになりました。

幸いなことに、仕事では、マインドをほとんど使わずに済んだので、毎日、意識的に考えることは、ほとんど、昼食と夕食のメニューぐらいとなり、時々、歯医者さんへの予約を入れる日程や、母と食事に行く予定を決めることに、マインドを使いました。

もちろん、過去からの感情が浮上したり、ある特定のマインドが浮上すると、私は、プレゼンスの状態から引っ張り出され、再び無意識の世界を生きなければなりませんでした。その時は、当然ツーステップの作業をする時です。自分なりに、正直に誠実にツーステップの作業を重ねました。

時々、行き詰ったように感じる時は、本の後ろにのっているレナードの顔写真を見て、アイコンタクトをしながら、しばらくの間、一緒にいました。彼の目は、とても穏やかで、私はリラックスすることができ、何だか少し彼とつながっているようにも感じました。

私は、真実を知りたい、自分の本質を知りたい、ということに対して、自分でも異常だと思える程、クレイジーでした。この激し過ぎる思いは、どこから来るのかわからなかったけれど、“私”からではないことだけはわかっていたから、私にはどうすることもできませんでした。時々、少し怖くなることもありました。この激し過ぎる思いに乗っ取られて、この自分はどうなるのだろうかと。しかし、すぐに、こういう思いは消えて、再びクレイジーなパワーでいっぱいになりました。

そして、一人で作業を始めて2年が過ぎた時、レナードに会うことができました。偶然、本屋さんで見つけた雑誌に、日本での2回目のレナードのワークショップのお知らせが書いてあったのです。レナードに実際に会って、私の思いは、さらに深まり、ツーステップの作業にも、さらに熱が入っていきました。

そして、今、とても大きな気づきがあります。レナードは、いつもプレゼンスであることが重要で、それに至るためのツーステップも穏やかに覚えているように指示しているけれど、私は、いつも、それを無視していました。

“私”は頑張る。“私”は目覚めるために必死になる。穏やかではダメだ。“私”は死にもの狂いなのだ。いつも、いつも、必死に頑張る“私”がいました。レナードに会えなくても、“私”が必死にツーステップを作業すれば大丈夫、だって、実際、私の人生は劇的に変化してのだから、“私”“私”この人が、とても存在していました。私は、その時、このことに気づいていませんでした。

しかし、ワークショップやリトリートで、何回もレナードに会っているうちに、前回の六甲リトリートの時、この“私”が、何の苦労もなく、自然と熟した木の実が落ちるようにストンと落ちていったのです。必死の“私”がいなくなったので、今までいたんだということが、よくわかりました。それまでは、いつもいつも必死な“私”がいました。でも、この時、必死な“私”がいなくなりました。

そして、初めて、私の中で、プレゼンスだけというシンプルな、しかし、深い認識が、はっきりとありました。それは、知的理解を超えて、私のすべてで、それがわかったという感覚でした。がむしゃらさ、必死さ、精進努力、そのような荷物を、やっと降ろす許可が出たように感じました。

そして、迎えた今回の清里リトリートで、私は、初めて師の存在の偉大さ、ありがたさ、温かさを、今までの私のレベルで一番深く感じることができました。

そして、レナードは、私の真の師となりました。というより、私が真のレナードの生徒となり、再び誕生したような気がしました。それだって、自分でそうできたわけではなく、すべて神がそうしてくださっただけです。

“私”が少しずつだけど、確実になくなっていくように感じます。神から許可がおりたところから、少しずつ、“私”が少ししかなくなったら、私の中から考えられないようなパワーが蘇ってきて、新しい私が、レナードを真の師と認識しました。

古い私を取り除いてくれたのは神、しかし、それは、ツーステップを死にもの狂いで、積み上げたからでもあります。だから、数年前の数年間は、私にとって、死にもの狂いな、がむしゃらさは、とても必要なことでした。

すべてのすべてが恩寵です。私は、なんと幸せ者なのかと思います。今は、この道を歩いて行くことへの必死さが、すっかりなくなりました。ただ穏やかに、くつろいで、プレゼンスの状態にいる。そして、日々の生活の中で、ツーステップの作業をする瞬間がやって来た時は、誠実に正直に、その作業に向かう。その繰り返しの日々です。その日々の中で、私の願う人生でなく、神の願う人生が展開していくのを、ただ信頼して生きたいと思っています。(50代 女性)

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