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日々ツーステップに取り組んで

いまここに

レナードさんの本を読み、レナードさんのリトリートやワークショップで直接話を聞き、実生活の中でツーステップを実践していくことを繰り返して、ずっと続けていくと、次に再びレナードさんの本を読んだ時、以前わからなかったことがよくわかるようになっていることに気づくことがあります。

自分が実在に根付いていく程、レナードさんの文章が自分のより深いところへ浸透してくるように感じます。マインドで理解していたものが、マインドが静まって、実在のところから読んだり、リトリートで、レナードさんの話を直接聞くようになると、以前に読んだ同じ文も、レナードさんから聴く言葉も、以前とは違ったもののようになって、私の中に入ってきます。

そして、入ってくれば入ってくるほど、私は勝手に変えられていくのです。今まで、どうしても落とせなかった執着が、突然何の努力もなく、スパっと落ちたり、レナードさんの本の内容がより深まっているのに気づいたりします。

例えば、レナードさんの本の中に「怒りの本当の表現とは、内面にある怒りを何らかの方法で、すっきりさせることではなく、バイオリンを弾くようなものです。怒りの正しい音を弾きましょう。怒りの声を認めましょう。怒りがそれ自身であるようにさせなくてはならないのです。」とあります。

何度も読んでいるのですが、レナードさんの教えのツーステップを積み重ねながら、再びこの部分を読んだ時、私が怒りの側に立ってみようと、ふとひらめくのです。私が怒りの瞑想をして、私がすっきりすることではなく、怒りそのものが表現することを、私が見守るということが、マインドでないところからの理解として突然やってきたりします。

そして、そのような状態で感情に向かう時、自分はその時しっかり感情を感じているけれども、一方では、その感情に巻き込まれない距離感が生まれていて、次第に、それに対する愛おしさを感じるようになったりします。

そして、さらに、この方法は、怒りだけでなく、恐れでも、悲しみでも、嫌悪感でも、すべての感情に向かい合うときに応用されるというひらめきも出てきます。

すると、次のレナードさんの文章が知的理解を越えて、私自身の生きた体験にぴったりとあてはまります。
「あなたは、まるで、2つの役を演じているような感じです。あなたは愛を強く欲しています。悲しんでいます。傷ついています。怒っています。非難して、感情を完全にそして忠実に表現しています。そのもう一方では、感情が沸き起こったときに、あなたは完全にこの瞬間に存在しています。感情があなたの内から現れてきたとき、あなたは全体の成り行きを見つめています。その感情は「今この瞬間」とは一切関係のないことだと、あなたは知っています。その感情は、ただ過去が完了のために現れただけだと、あなたは知っています。ですから、どちらかといえば、あなたは、このすべての体験に心穏やかに楽しんでいるでしょう。」

レナードさんのツーステップを積み重ねていくうちに、わからなかったものが、私の中に、少しずつ浸透し、やがて、生きた体験を通じて理解が深まってくるようになるのです。

そういうふうにしながら、私は自分の内側の奥へ奥へと入っていける許しをもらえるように思います。だから、レナードさんの同じ文章を読んでも、レナードさんのいう同じことを何度聴いても、自分の変化に伴い、それは、もう以前と同じ内容ではなくなり、自分をさらに変容させてしまうものに変化していくように感じます。

あくまでも、教わる側の姿勢が何より大切なのだと実感しています。心穏やかに、準備を続けていけば、レナードさんの同じ文章を読んでも、レナードさんの同じ言葉を聴いても、もはや、それは、全く違う文章・言葉になっているようにすら感じます。

私の願いは、ただひとつ「目覚める」ことだけです。レナードさんのツーステップは、それに至る、とても大切な魔法の杖のようなものです。しかし、いくら魔法の杖であっても、実際に使わなくては、魔法は起こりません。レナードさんに言われた通り、私は死ぬその時まで、この杖を使い続けたいと思っています。(50代 女性)

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