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マインドのおしゃべりや感覚と共にいることでの変化

2015年を迎えてから、私の中から、盛んにエゴの声が聞こえてくるようになりました。それらは、考えられない程、どうでもいいことです。例えば、職場で、「あなた、なんで人の悪口ばかり言うの。かかわりたくない」「あなたはすごく偉そうで腹が立つ」「私が面倒を見てあげたのに、私をないがしろにするの」「何で私に挨拶しないの」

これらのマインドの浮上と同時に、レナードさんの本の中の一文が、まるで、天から降ってくるようにやって来ました。「エゴが生み出すものを、ただじっと観つめるのです。エゴはあなたによって見抜かれていると自覚する必要があるのです」この一文は、マインドのおしゃべりが始まると同時に、毎回聞こえてきました。私は、この囁きを聞きながら、穏やかにマインドのおしゃべりを聞いていました。

私がとても嬉しく感じたことは、マインドのおしゃべりを聞いているとき、全く批判や拒絶がなかったことです。ただ実在して、それらを聞いていました。今のこの時期は、私にこのレッスンをしなさいと課題が与えられているように感じました。来る日も来る日も、このレッスンは続きました。マインドのおしゃべりが始まる、同時に囁きが聞こえる、受容と共にそこに実在する、この繰り返しでした。

これがいつまで続くのだろうか、このやり方で間違っていないだろうかという、今まで私が最も陥りやすい思いは、不思議なくらいありませんでした。終わる時まで続く、正しいも間違いもないという認識でした。

「マインド、あなたのいうことは尊重します。しかし、私はそれを信じません」ということが、知的理解だけでなく、私自身が、その状態で生きるというようになっていました。しかし、すべてのマインドの言うことに対して、こうなったわけではありません。

マインドのおしゃべりに感情が伴った時は、不本意ながら、実在から引っ張り出されてしまいました。職場でのYさんとのやりとりの中で、私は何度か、彼女の言動に怒りと反発を感じました。「自分だってしゃべってばかりいるのに、なぜ私が少し話しただけで、あなたから注意されなくちゃいけないの」。

このマインドのおしゃべりの後、反発と怒りの感情がどっと押し寄せて来ました。そして、その状態は、その日を境に、毎日彼女を見るたびに起きてきました。私は思いました。大したことではないのに、こんな反応が起こるなんて、これはツーステップのワークの課題だと。

私は、まず、怒りを感じました。しかし、怒り、反発はおさまりません。次に、人を批判・拒絶するいう浮上した私の側面に向かい合いました。怒りを感じる、人を批判することを、自分が持っていることを認め、深く受け止め、打ち明ける。毎日、このツーステップのワークを続けました。

半月程たった頃、私は、ツーステップのワークを行う動機に交換条件があることに、ふと気づきました。浮上してきた、人を批判・拒絶するという私の側面が、何とかなくなって欲しいからツーステップのワークをするという隠れた動機を発見したのです。私は、人を批判・拒絶するという私の側面を批判・拒絶しているとわかったのです。

ちょうど保育園の階段掃除をしている時でした。私は、すぐに神様に心の中で言いました。「神様、こんなステキな大切なことに、真から気づかせて下さってありがとうございます」と。レナードさんの本で読んでわかっていると錯覚していただけだと、実際の生活での体験を通してわかりました。

それからは、Yさんを批判・拒絶する私の側面を批判・拒絶することなく、その時の最大限の受容をもって受け入れるようにしました。これらのツーステップのワークは、楽にスムーズにできたわけではなく、とても意識的な努力を伴っていました。しかし、私のベースにあったものは、私の側面のすべてのすべてを受け入れたいという強い思いでした。だから、辛くてもツーステップのワークに取り組まないわけにはいきませんでした。

このように、思いに変化はあったものの、Yさんを嫌悪する思いは、ずっとありました。しばらくすると、少し心が疲れてきたのを感じました。なんだか力が抜けて、努力を維持するのがしんどいなあと感じました。私にしたら、珍しい感覚です。

その時、また、レナードさんの本の一文が降ってきました。「休みが必要かと自らに問いなさい。自分にやさしくあることです」。その囁きを聞いて、私の中から力の入っていた努力の部分が、だいぶ抜け落ちたのです。

私は、もし今、自分の側面を受け入れられなくても、Yさんを嫌悪していてもOKだよ、と思えました。すると、ゆったりと未知の空間に開かれていったように感じたのです。それから間もなく、4月からの仕事の新しい組織の発表がありました。14名いる福祉員が2名一組となって、1クラスをみるのです。マインドの部分では希望がありました。ペアの相手はМさんがいい、そして、クラスは、きりん組がいいと。しかし、人生が、私の元へ持ってきたものは、なんとペアの相手は、あのYさんで、しかもクラスは園内最大級のモンスターペアレントのいる誰もが受け持つのを嫌がる、りす組でした。Yさんと、りす組担当になるということ、それはまさしく自己統合をさらに進めていくように、というメッセージだと思いました。

自己統合に取り組む程(決して楽ではありませんが)、レナードさんのリトリートに参加した時、レナードさんの本を読んだ時、レナードさんの実在が、レナードさんの本の内容が、私のより深い所まで、浸透してきて、新たな気づき、理解、シフトの転換が起きます。自己統合に取り組むことは、まさに、毎日の出来事を通してです。

だから、私にとって、毎日毎日が次回のレナードさんのリトリートへ向けての準備になります。それは、楽でも簡単なことでもないけれど、強いコミットメントがあれば、必ず導きがあります。これは、すごく実感しています。

その後、今度は、やたらと過去からの感情が浮上してくるようになりました。小さなことが引き金となって、あとから浮上してきました。主な感情は、恐れと悲しみ、孤独感でした。

ほっぺの内側を噛んでほっただけで、虫歯の状態を知っただけで、排便がスムーズでないという、ただそれだけで、震えるような恐れが浮上してきました。尋常ではないと思いました。だから、すぐにツーステップのワークが始まると思えました。

マインドは言いました。噛んだ傷からバイ菌が入って、たいへんなことになる、虫歯から歯を抜くことになるかもしれない、などなど。最初に紹介した人のことを、どうのこうのいうマインドは、あんなにも距離をもって観ることができたのに、肉体に関するマインドのおしゃべりに恐れの感情が伴った時は、簡単に巻き込まれてしまいました。私は、きっと生存に関する部分に、たくさんの無意識の領域があって、そこに意識の光が差し込むと時が来たのかなと思いました。

夜、瞑想しながら、浮上した恐れと共にいました。その恐れの感覚は、体がワナワナと震えるくらい強いものでした。レナードさんの本の中には、感情をあまり深刻にとらえないこととありますが、その時の私には、そんな余裕は全くありませんでした。

恐れの感覚は、とてもリアルなものでした。幸いなことに、ストーリーが全くなかったので、ただ全身全霊で、その恐れと共にいられました。ストーリーは何もないのに、強い恐れを感じながら、たくさん涙が溢れ、顔は苦痛にゆがみ、ウーウーと何回も声を出しました。

20分位経つと、呼吸が整ってきて、少しずつ元に戻りましたが、目を開けた後も、私の中には、まだ恐れがあることがわかりました。しかし、今日の分は、これでおしまいという感じでした。

また、ある時は、どうしようもない程の孤独感と悲しみが浮上してきました。その時も、ストーリーはなかったので、ただ、それと共にいて、思いきり、それを感じました。それらは、その後も何回か起きてきました。

死への恐怖が浮き上がって来た時も、私は、やはり、それと共にいました。呼吸を丁寧に意識しながら、その感覚の中へ中へと入っていきました。しばらく、一緒にいたあと、私は、なぜか、すごく自然に肉体の死にYesと言っていました。

私は、肉体との同一化は、とても強く、これだけは、どうにもはずれないだろうと思う程でしたが、なぜか、この日、今までの私のレベルの最も深い部分で、肉体の死を受け入れるという感覚がありました。自分でもびっくりしました。どうして、いきなり、こんな風になったのかわかりませんが、死の受容の感覚が起こると同時に、私はとても落ち着いてきて、緊張感がスーッとほぐれていきました。恐れの一部が実在の中に溶けていったことを初めて実感しました。15分間位の出来事でした。すると、肉体への執着から、少し解放されたように思えました。

もちろん、今後も、さらに多くの無意識の領域が光を浴びるために浮上するでしょう。でも、私は、それらを決して拒絶しないし、いつでもウエルカムで迎え入れることだけは確かです。目覚めへの旅は、実在することによって、私の内へ内へ、中へ中へと、本当に深く入り込んでいくプロセスのように思います。無意識の石のすべてをひっくり返すまで。

この旅は、地味で、誰にも注目されることなく、そして、楽ではない道のりです。ところが、楽ではないのに、なぜか心の奥では、とても喜んでいる部分があります。それは私の深い闇の無意識の部分にやっと意識の光があたり始めているのがわかるからなのでしょう。

レナードさんの本にも「光への道は、闇を通り抜けるしかありません。闇を恐れないこと」とあります。こういう一文は、私を抱きしめてくれます。本当に私をやさしく抱いてくれるのです。だから、歩いて行くことができます。

そして、迎えた4月新学期のスタート、その前日3/31の夜、「Yさんと上手くやっていけるかな。ケンカして嫌な雰囲気になったらどうしよう」というマインドのおしゃべりと同時に、緊張感、恐れ、収縮の感覚が浮上してきました。私は、そのおしゃべりを聞きながら、そして、その感覚を感じながら、一切の批判・拒絶なく、それらと共にいました。

今は、今後どのような展開になっても、人生が私のところにやってくるすべてのことを、ただ受け入れたいと思っています。たとえ、涙がこぼれても、迷いそうになっても大丈夫!リトリートで、レナードさんに会えるし、そして、私にとっての宝、故郷へのガイドブック3冊があるのだから。(50代 女性)

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