ツーステップとの出会いと実践しての変化

ツーステップのわかりやすさに魅かれたのは、私の目覚めへの魂からの願望が芽生えた頃のことにさかのぼると言ってもいいでしょう。両親の不仲、威圧的な父親への嫌悪から、なぜ人は生まれて来るのか、この世に生まれて来る目的はあるのかということを中学生位から一人だけで、いつも模索しているような子どもでした。いじめられていたわけではなかったけれど、友達はほとんどいなかった。模索への没頭から友といても、ちっとも楽しめなかった。

20代には、ある宗教の門をたたき、9年間信者として過ごした。その後は主人の病気の看護に明け暮れた。その間、よく本屋へ行っては、覚醒に関する本を読みあさった。難しくて、理解もできないのに、なぜか、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジ、ラメッシ・バルセカール、パパジ、クリシュナムルティー、OSHOなど、ひきつけられる本は、ほとんどインドの覚者達のものだった。

主人が亡くなって、2年位過ぎた時、自分の中から“真実を知りたい”という切ない程の思いが湧き上がってくるようになり、その思いは、日々年々強くなっていった。私がちょうど48歳位の時。私の頼みの綱は、本から得る知識だけだった。彼らの本は難しかったが、なぜか言われていることは、真実だとわかった。だから、私は理解できなくても、ずっと本を読み続けた。

・真理は心による自己限定の観念によって、覆に隠されているため、この自己限定の観念が放棄された時、意識の実在は明らかになるだろう。想念が湧く度、「私は誰か」と問う。

・世界から自由になって、初めて世界に対して何かができる。その囚人である限り、それを変えることはできない。

・ただの現れに過ぎない幻を実在とみなすことは悲しむべき罪であり、すべての災いの原因だ。あなたは、すべてに偏在する永遠で無限の創造的気づき、意識なのだ。それ以外のすべては、限られた時と場所の中にある。

・すべては、焦点の問題だ。あなたの焦点は世界に当てられており、私の焦点は実在に当てられている。

・内面に入り、あなたでないものを見出しなさい。それ以外、道はない。

・「私は在る」という想念以外の、すべての想念を拒絶しなさい。

・私は私のグルを信頼するということが起こった。彼が、私は私自身以外の何物でもないと言い、私は彼を信じた。そのとおりに生き、私ではないものに注意を払わなくなり、3年で実現したのだ。

私には1つだけ最も深い確信がありました。それは、マハラジが言った次の言葉で「真剣さ、それが唯一の成功への条件だ。真剣さが進歩の度合いを決定する鍵。真剣さが、あなたを目的地まで連れて行くであろう」

どうしてかわからなかったけれど、私の中からあふれてくる、この真剣さ、どうにもならない程のものだったから、私は必ず道は開けるだろうと思っていました。

OSHOの「真瞑想法入門」という分厚い本に、たくさんの瞑想法が紹介されていました。自分に合いそうなものを、たくさんノートにまとめ、実際にやってみました。最終的には、次の3つに絞って、実践を続けました。

1. 愛犬 との散歩の時、足が地面に着く感触、風が体にあたる感触、等に意識を向ける。
2. マインド、感情がやって来た時、これは私ではないと見送る
3. 朝夕20分位の瞑想

今思うと、1はレナードさんのおっしゃるプレゼンスウォーク、2はツーステップの気づくということ、3は一日の中で深いプレゼンス状態をつくるということ、すべてレナードさんから教えてもらったことと一致します。

全くの独学で、これら3つのことを始めましたが、2週間目位から変化を感じました。散歩の時間が待ち遠しくなり、だんだんと散歩から戻っても、行為に意識を向け続けるようになっていきました。1年が過ぎる位には、明らかに自分の人生の展開が変わっているのに気づいていました。

そして、2年位、一人で実践した後、ある瞑想集団で学ぶ機会が与えられました。そこで3年お世話になり、その3年目にレナードさんの本とめぐり合えたのです。私は、まさに知らないながらも、ツーステップを、すでに激しく求めていたのだと思います。

何の疑問も迷いもなく、すぐにツーステップの作業が始まりました。私にとって、ツーステップ程わかりやすいものはなかったです。だから、作業中に行き詰っても、必ず助けがやって来てくれました。

自分の体験から言えば、真実を激しく求めているなら、その渇きを癒すハウツーが見つかった時、まるで砂に水がしみ込むように入り込んできて、作業が勝手に始まるように感じます。そして、ツーステップで生活していくうちに、自分は恩寵によって、どんどん変えられていく。
そして、自分の知らない自分に会うようになる。これ以上ないと思える程に、私はとても幸せです。(50代 女性)