すべてを受け容れる広い世界がここに

前回のリトリートも、魂が揺さぶられて、涙、涙でした。

実は、今の父や母は本当の父母ではありません。私は幼少期に親から虐待を受けました。成人しても、精神的に不安定で、人との距離感がわからず、心が重くなったり、自暴自棄になったりの繰り返しでした。
私が仏門の道を歩んでいるのは、そのような過去と決別したかったからです。

前回のリトリートの最終日で、レナードさんのお話を聞いているうちに、「それでも、私は、生きたい」という気持ちが心の奥底から湧き上がって来たので、手を挙げ、そのことを伝えて、参加者の皆さまの前に出て、プレゼンスで皆さまを拝んだ時、皆さまお一人お一人が、仏様のように見えました。とても、感動的な瞬間でした。

今まで、自分の物語の中で、私は悲劇の主人公でしたが、幼少期の虐待や、不安定な情緒面や、頭で思い描いたことが破綻しても、足元の広い世界では何も問題はないんだなぁと知りました。

そして、すべてを受け入れる広い世界を感じたとき、風が「そうだよ。大丈夫だよ。」と言ってくれて、太陽が温かく照り、お花が美しくあるがままに咲いていました。
ああ、これから先、お花や太陽や風がある限り、訳が分からなくなっても生きていける、と確信しました。

レナードさんの本はとても素晴らしく、翻訳も素晴らしいものですが、リトリートは、考えることが必要なく、体で感じ取ることができる点で、ワンネスの体験そのものだと感じます。

できるだけ多くの方々に、参加していただいて、悩んだり、苦しんだりしていても、ワンネスは常に開かれていることを知っていただきたいです。

大原三千院御門主でいらっしゃる堀澤祖門先生の止観の会で、平成26年からテキストとして『「今、この瞬間」への旅』が使われています。先生の解説で読み進め、やっと昨年末に最後まで読み終え、今年から、最初に戻って、二回目の読み進めに入りました。

何度、読んでも、そのとき、そのときの自分の問題意識が違うためか、いつも新鮮で、心に響くものがあります。

この本は、宗教を超え、時代を超え、普遍的な意味を持っていて、何が本当か、何が偽りかがはっきりと書かれており、どうすれば本当の世界が開かれるか、言葉を超えている真実の世界はどういうものかを丁寧に言葉で表現されています。

そして私はリトリートに参加して、頭で理解したことを、もう一度、体験を通して、体で受け止め直すことは、プレゼンスを確かなものとして定着させるために、とても役に立つと実感しました。

初めての方でも、レナードさんは、その人の抱えている悩みや苦しみをしっかりと受け止めて、適切なアドバイスをしてくださいます。

レナードさんは、「プレゼンスは、受容、愛、沈黙、慈しみ」と言われます。
実際、参加してみると、色々な方が癒される過程を目の当たりにし、同時に自分も癒されることで、魂が目覚めていくような感覚を味わいました。

今、世界の中で、ワンネスの世界から、しっかりと丁寧に導いてくださる方は、ほとんどおりません。
私たちは非常に貴重な時代にいます。

その都度、その都度のリトリートで、しっかり、全身でレナードさんのエネルギーを受け止めることが大事で、「次回に参加しようかな」と思う気持ちは、レナードさんもおっしゃっているように目覚めたくないエゴが話しかけているかもしれません。

せっかく目が覚めかけていたのに、また、夢の中で「失くしたスーツケース」を探し始めるのは、とてももったいないことだと思います。

4月は予定が立て込む時期で、私も、本山の春の法要のスタッフを頼まれ、スケジュール調整が難しいのですが、「次回にすれば、」というエゴの声に惑わされず、「今回が最後になるかもしれない」という覚悟で、最優先で調整しようと思っています。

レナードさんも「来年、どうなるかわからない。いつ世界を旅することを終えるかはわからないので、今回が最後という気持ちで臨むように。」とおっしゃっていました。

これまで、性根がねじ曲がり、自暴自棄になって、死んでいたかもしれない自分が、新しく生まれ変わって、本当の喜びを知り、本当にやりたいことができ、しっかりとした足場ができたことを考えれば、時間やお金のことは、私にとって大きな問題ではありません。

前回のリトリートの中で、皆さまと一緒に涙したり、喜んだりすることに、特別な心のつながりを感じました。この心のつながりを大切にしたいです。

長々と私の思いをとりとめもなくお伝えし、失礼いたしました。
皆さまと、一緒に、泣いたり、喜んだりして、魂と魂が触れ合う日を楽しみにしております。

(京都在住 浄土真宗僧侶 柏倉明裕さん)

すべてを受け容れる広い世界がここに

すべてを受け容れる広い世界がここに