禅とレナード「手放したところに実在あり」

お釈迦様の教えに「八万四千の法門」あり、と言われています。お釈迦様は、一生の間にいろいろな人々に「対機説法(たいきせっぽう。人の機根、能力に応じて教えること)」をしたので、多くの教えが残っています。しかし、お釈迦様の教えを最もシンプルに表しているのが、お釈迦様の一生だと言われています。お釈迦様は、真理探求者がこう生きるべきだと身を持って示していると言われています。

お釈迦様は、釈迦族の王子として生まれましたが、その地位を手放し、財産を手放しました。探求の道に入ったお釈迦様は、当時主流だったバラモン教の師について修行を始めました。五年間肉体をいじめる過酷で苦しい修行を行じました。しかし、その修行を手放し、バラモンの学問を手放し、最もシンプルな方法である瞑想(坐禅)をはじめ、それから一年後に究極の悟りを開きました。その悟りはレナード氏が言うところの「今ここに、完全に実在する」というものです。お釈迦様は、すべてを手放し、放棄したところに実在があることを発見しました。

中国禅の高僧たちはお釈迦様と同じように、手放して、手放して、手放した結果、仏性(己の本質・創造主・大いなる全て・神・仏)が顕現すると言っています。中国禅は、全てを手放してバカのようになり(マインドを手放す)、リラックスしてただ坐るという最もシンプルな教えです。中国禅の創始者である達磨は、「心を常識的な価値を脱したところに置くがよい」と言っています。常識、観念、概念、知識、学問(哲学、思想、宗教など)などの及ばないところ(超えたところ)に真理があるということです。

レナード氏がよく口にする道教の創始者である老子は「学問をするのは日々に知識を益すことであり、道を修めるのは日々に知識を手放すことだ。手放した上にもまた手放し、ついに無為(涅槃、悟り)に至るのであり、無為にして為さざるなしということになる」と言っています。

レナード氏は「ノ―マインド、ノ―オピニオン、ノ―ジャッジメント…になった時に『今ここに実在』できる、これは本当にシンプルな教えです」と言っています。

全てを手放して無心になると、「今ここに在る」という真理が現れます。皆この事を言っている訳です。

今中国でレナード氏の生徒さんたちがレナード氏のことを「仏陀の再来、現代の仏陀」と言っているようですが、上述したようにレナード氏の教えとお釈迦様の教えが結局同じだからでしょうか。

中国禅研究者 猪崎直道氏