いまこの瞬間に在る痛みと共に

レナードさんの教えと出会ってから、痛みが起こったときには「いまこの瞬間にある痛みと共にいよう」と思うようになりました。でも、痛みは恐怖に直結するので、思わず痛みから逃げたくなってしまうこともあります。そういうときは頭の中の声が「こわい、こわい、痛いのこわい!」と連呼しているときなので、私は「そうだね、怖いね。怖くていいんだよ、あたりまえだから。でもこれはとても大切なことだから、怖いまま、ここにいようね」と話しかけることにしています。この内的な対話をすることで、痛みを迎え入れる覚悟が決まって体の力も抜きやすくなり、私にはとても効果的でした。

痛みというものは、どんなに強くても治まったあとには正確にどんな痛みだったか思い出せないもので、その「思い出せない」という性質が、痛みが「この瞬間」にのみ属するものだということを表していると実感します。
その瞬間に在るものを知ることはマインドにはできないのだ、ということを思うとき、痛みを真に感じているときは必然的にプレゼンスに在るはずで、自然発生的にやってくる痛みはまさにプレゼンスに在るためのギフトであり、プレゼンスを深めたいと希求するなら逃すべきではないチャンスだと感じます。
そして、プレゼンスに在りたくて、この「痛みを喜んで迎え入れる」という気持ちを日常的に体感するようになったとき、ふと「あれ、この感じは出産のときに似ている」と気がつきました。

レナードさんの教えと出会う何年も前、陣痛の最初の兆しが来たとき、これから始まる痛みへの恐怖と共に、それ以上の強さで喜びが身の内に広がりました。「痛みが来てくれた。よかった!これでやっと赤ちゃんに会えるんだ」と。赤ちゃんの通り道になる産道が広がるとき筋肉が収縮して起こる強い痛みが陣痛と呼ばれるもので、この痛みが来てくれなければ赤ちゃんは母親の体を傷つけずにおなかから出てくることはできません。そのことを、産婦も周囲の人も十分承知しているので、陣痛が来ると産婦はドキドキしながらも喜びますし、周りの人も自然に「よかったね、いよいよだね」と声をかけてくれます。その場にいる全員が、痛みを「よきもの」として喜び励まします。
このことは、産婦を自然とプレゼンスの状態に導くのではないでしょうか。陣痛は強くて長く、これと闘おうと思ったらとても耐えられるものではないと思いますが、プレゼンスを通して産婦は自然と「闘わずに迎え入れる」という痛みとの向き合い方をすることができ、そのことによって鎮痛剤もなしにあの痛みを乗り越えることができるのではないでしょうか。

痛みはのっぺりと全身を覆い何度も何度も信じられない強さでやってきますが、まったく痛みのない時間もまた、陣痛と陣痛との合間に必ずやってきます。その無痛の時間、普通ならば感じても当然のような「次の陣痛が怖い」といった思いは浮かばず(そして他のどんな思いも一切浮かばず)、私はただその安らぎを味わい、うとうととまどろみました。
そのときは気づきませんでしたが、出産はまさにプレゼンスを体験する場だったのだと思います。出産の痛みは壮絶だったはずなのに、終わってしまえばどれほどのものだったのかやっぱりよく思い出せず、「あの痛みが怖いからもう産まない」という選択をする女性がほとんどいないということもまた、「出産は痛みを受け容れプレゼンスを体験する場なのだ」ということを裏付けている、と感じます。

「人が生まれてくる瞬間、その子の母親はプレゼンスの状態に在る」ということを思うとき、私は世界のやさしさに打たれます。世界は深いやさしさに満ち、エゴではなく真の自分自身で受け容れるならば、痛みでさえも恵みなのだ、と。

レナードさんの教えに感謝をこめて。(30代 女性)