禅とレナード 「仏教から仏陀へ(仏教の教えから内なる仏へ)」

レナード氏の大原三千院での特別クラスでは、僧侶の方が多くみられます。レナード氏のお話の中によくお釈迦様が出てきますし、生徒さんの中から道元禅師に関する質問も出ているようです。レナード氏は、冗談半分で「今ここに道元禅師がいたら、バトルになるでしょう」と言っていましたが、どう考えてもそうならず、お二人は握手をしてお互いを称えるでしょう。

学問仏教、教学仏教の方なら、お二人の教えの違いを強調するでしょう。しかし、言わんとしている真の内容が理解できれば、同じことを言っているとわかるはずです。なぜなら、お二人は同じ方向を向いていて、真理はひとつだからです。これは、頭(マインド)の中だけで考えていてもわからず、レナード氏の言うようにノ―マインド、ノ―オピニオン、ノ―ジャッジメントの中に入ってこそ(無心になって)わかる真理です。

私は中国禅が専門ですが、中国禅はお釈迦様の仏教を最も正しく伝えていると言われています。中国禅の教えは一言で言うと、「学問、観念、概念、信念、知識など捨てよ。捨てて、捨てて、捨て去り切れ」と言っています。するとそこに誰でも本来持っている真理(仏性)が顕現してくるわけです。中国禅の開祖達磨大師は、中国を席巻していた学問仏教を批判し、実践の仏教を興すという役割があったようです。頭だけの知識を嫌い、無心の坐禅(今に在るということ)の大切さを教えました。

私はレナード氏の教えに一番近いのは、仏教の中では中国の禅だと思っています。中国の禅の高僧が皆言っていることですが、例えば黄檗(おうばく)禅師は「修行者たちが仏になろうと思うならば、一切の仏法なるものは学ぶ必要は全くない。学ぶべきことは求めることなく、著(とら)われることのない在り方だけである」とか「今時の人は多知多解であろうとして、言葉の意味を広く探求し、そのことを修行と称している。しかし、実は多知多解はかえって真実への目をふさぐものである」そして、また「まるで阿呆(あほう)のように生きてゆくことだ」、「これまでの既成観念は、全てかなぐり捨てねばならぬ」などとも言っています。これらのことは、レナード氏が言っている「仏教から仏陀へ(学問仏教から真理の体現へ)」へ至る条件なのです。

仏教特に禅では良い指南書を読んだだけではダメで、真に悟った師を求め指導を受けなければならないと言います。私のこの人生は、真に悟った師を探す旅でした。やっとのことでレナード氏に行き着きました。レナード氏のリトリートに参加して心から満足しました。講話も導き方もすばらしいものでしたが、「実在に在りましょう(プレゼンスに深く入っていく)」という時間が、最もすばらしいものでした。真の実在を体験することができましたし、これこそ真の霊的指導だと思いました。レナード氏は、私一人では体験できない次元へと導いてくれたのでした。

中国禅研究家 猪崎直道氏