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「いまここに在る」パワー

10年ほど前から、私はずっと片頭痛に悩まされていました。なんとか治したくて病院を訪ね歩いたこともありましたが、CTスキャンなどの検査をしても、これといって異常は見つからず、根本的な改善策がないまま、「頭が痛くなったらロキソニンを飲む」という対症療法で凌いできました。

「今この瞬間への旅」を読み終えて数日後、いつもの片頭痛がやってきました。
ロキソニンを飲もうと薬箱に手を伸ばしかけたとき、「頭痛は『ここ』に存在する権利がある。完全に頭痛を感じなさい。頭痛と共にこの瞬間に存在しなさい」というレナードさんの言葉をふと思い出しました。私はロキソニンを飲むことをやめ、ここに存在する権利のある頭痛と共にソファに身を沈めました。

ズキズキとした痛みを頭の左端に感じながら、私は目を閉じ、深く息を吐く。体じゅうの力を抜き、痛みの中に沈み込む。痛みが走るたびに上半身が微かにこわばることに気づき、肩、背中、おなかと、ひとつずつこわばりを緩めていく。そんなふうにして、私は自分のすべてを痛みに明け渡す。痛みは稲妻のように高波のようにやってくるけれど、痛みへの恐れは消えている。私の呼吸はどんどん深くなっていく。
痛みのさなか、ふと悲しみがやってくる。母親との諍いの、遠い記憶を引き連れて。私は泣く。頭の痛みに身を浸したまま。記憶は古いストーリーを語ろうとするけれど、私はすでに頭痛でいっぱいで、ストーリーの入る余地がない。悲しみは川のようにただ私の中を流れて、涙を流させる。
ふいに、痛みが溶け去る。とろりと、完全に、一瞬にして。なにが起きたのかわからないまま、私は目を開ける。悲しみも、痛みも、完全に消えている。もう一度目を閉じ、体じゅうを点検してみる。そう、確かに痛みはどこにもない。ひとかけらも。痛みは、私から悲しみを流し出したあと、あとかたもなく消えてしまったのだ。

この体験のあと、私は理解しました。痛みは、耐えるものではなく味わうものなのだということを。痛みは、取り除くべき障害ではなく癒しのための贈り物なのだということを。それはワンネスへの招待状で、鎮痛剤を飲むことはその招待状を拒否することなのだということを。

この時以来、私の頭痛への恐れは完全になくなりました。頭痛が起きた時には一人になれる静かな場所へいき、体の力を抜いてただ頭痛を感じる。それだけで、たいていの頭痛は消えていきます。頭痛は、感情を連れてくることもあれば、ただ痛みだけが在ることもありますが、どちらであっても、頭痛が溶け去って目を開けるときには、周りのものが柔らかく光り、ワンネスに在ることを感じます。私を悩ませ続けた頭痛は、まさにワンネスへの招待状へと変わったのでした。痛みが消えていく間に要する時間はまちまちなので、一人になる時間がゆっくりとれないときにはロキソニンにも助けてもらいましたが、服用頻度は激減しました。そして驚くべきことに、ここ最近は頭痛そのものがほとんど起きなくなりました。
ワンネスに在るときの至福に比べればささいなことなので、頭痛が消えたことを特に「奇跡」というふうには感じませんでしたが、「いまこの瞬間に在る」ことのパワーに、静かな驚きを感じる日々です。

ひとつひとつ私を真実の気づきへと導いてくださるレナードさんの言葉に、たくさんの感謝をこめて。(30代 女性)

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